人の価値
ってのはなんじゃろな。
自分が誰かに何かをしてもらうことは望むけれど
自分が誰かに何をしてあげたいか、何をしてあげられるか。
誰かに価値を与えた経験って、そもそもあるんかいな?
そこが希薄だと、やりたいことも分からんのではなかろうか。
そして今すぐに出来ることと、今すぐにはできないこともある。
後は、その誰かに何かを与えた経験の回数時代が少ないと、自分の喜びを勘違いするかもしれない。
僕が今までやったことは・・・
プレゼントを贈る
イラストを描いて贈る
手紙を書く
歓迎会を開く
飲み会を開く
リーダー役を引き受ける
夜逃げの準備を手伝う
毎朝友人を起こしに行く
こんなもんかな?ふうむ。思ったより少ない・・・。
でも何かをプレゼント、贈る、って気持ちがいいものですよね。
まず「プレゼント」「手紙」
部活の頃にプレゼント交換というイベントがあって、そこで1年間の想いをつづった手紙を交換したり、学年からのプレゼントを贈りあったりする素敵なイベントがありました。楽しみにしてる人もいれば、手紙やプレゼントなんて・・・っていう人もいるけど、なんだかんだ自分の思いを内に秘めてる人も多い。それに自分の気持ちを考えてもらって贈られるプレゼントや手紙って、いざもらうと嬉しいものです。ちょっとくらいいじけてても、やっぱり嬉しいですよね。想いを交換しあうって素敵ですよねえ。
あ、あとはオケの合宿のときに、メッセージカードを巻きつけた栄養ドリンクを差し入れしてみたりとかしちゃったりして。
はい、次はイラスト。
誕生日プレゼントに、親友がはまっている女の子キャラクターをリクエストさせて、絵の練習がてらハッピーバースデー!とイラストを贈りました。今でも保存してやがります。とっても嬉しかったんだって。僕は絵の練習になればいいや、くらいに思ってプレゼントしたのに、すごく喜んでくれてて逆に困惑すると共に、プレゼントやイラストの強さを再確認した経験が。うんうんなつかしや。
あと、後輩ちゃんにも「後輩ちゃんのデフォルメイラスト」を何を血迷ったのか12月25日のクリスマスに贈ったこともあります。一日だけ後輩ちゃんのLINEのプロフィール画像が僕のイラストに!
次。歓迎会を開く。これも部活より。
新人の歓迎会。自分たちの歓迎会。そういえば僕はイベントをやる側も、やってもらう側も両方好きかもしれない。
飲み会を開く。これはー、酒が飲みたいだけの建前でやってみた。
でも女の子相手に飲み会を開いても、愚痴大会になっちゃうので辞めた(残念)
というか彼女らは酒が無かろうとあろうと特定のメンバーで寄り集まれば本音に見える本音ではない建前を使ったり、本音を語る隙をまったく見せてくれない。お酒がその助けになれば・・・とか思ってたんだけど、余計なお世話だったという結末。
というか酒を飲むために酒を飲むんだよ!!って理屈で説明することほど風情がないことはないと思うんだ。どうだろうか。
リーダー役。人のまとめ役をやったことがある。大学の卒業研究のゼミ長だ。
人間マネジメントは、うまいこと空気を読みながら、うまく空気のように当たり障り無く、でも本筋を見失うことなく人をまとめあげていく力が必要。カリスマが足りないと痛感した。あとスルー力(りょく)ね。
お次2つ。
夜逃げの手伝いをすると感謝されて焼肉を奢ってもらえる、以上。
毎朝友人を起こしに行くと、朝ごはんとフルーツを食べさせてもらえる、以上。
やっぱりなんだかんだ僕はイベント、好きなんです。企画するのも、運営するのも。参加するのも。運営だって別にすべて一人で手配するわけじゃないし、人手だって、仕事だってあるわけだし。飲み会イベントひとつにしたって、お店の手配、人集め、プレゼントの用意、とか。本格的にやろうと思えばイベントとして楽しめちゃいますよねぇ。
そして歓迎会とプレゼント交換はかれこれ4年間も引き続きやっていた、ということになりますが、改めて1年の締めくくりにしっかり感謝をしたり、思ってることを書き綴ったりするって良いことですよね。
贈りあうってなにも難しいことじゃあないです。ちょっとしたことでも、その人にとってはすごく嬉しいこと、自分はそうでもないけど、もらった側は嬉しいって実はよくあるんだなぁというのが僕の実感。たとえゴミでも好きな人からもらうと嬉しいですもんね!そこらへんに落ちてたヘアピンとか!落ち葉、葉っぱとか、ペットボトルについてたおまけ小物とかさ!
物自体は嬉しくないけど、もらったという事実が嬉しいのだ。人はそこに喜びを感じることもできる生き物なのだ。
いやいやでもさ。どうせもらうならいいものが欲しいよってのは正常な欲求だと思う。
で、案外喜ばれた。それなら良いけど、その逆になるとかなり残念ですね・・・(笑)
全然嬉しくないけど嬉しがるふりをされるとか、もらった側が嬉しくないとか。
それプレゼントが押し付けがましいか、チョイスとか渡す雰囲気やセッティングに問題がありそうです。好きでもない人から手作りの何かしらをもらっても苦笑い、人間ってなかなか残酷です。なんでもかんでも素直に本音でしゃべりあったら、喧嘩になりますね。でも喧嘩くらいしたほうがいいよね。や、むやみやたらに争えってことじゃなくて、定期的に腑のうちを明かすっていうか、自己開示的な意味で。関係ないけどさ。
てめえこんなもんいらねえんだよ!気持ち悪い!って。
正直な気持ちを正直に包み隠さずぶっぱなせる女の子。かっこよくないですか。関係ないけどさ。
えー。軒並み、魅力的だと思っている人や、好感度が並程度の相手は、プレゼントをもらったり、何かをしてもらったり、会を開いたりしてもらうと嬉しいって思うみたいですよ。
思うみたいですよ?そりゃそうですよね。そうに決まってますよね!
ふーむ、どうもひとりぼっち歴が長いと人間歪んじゃうのかなぁ。
普通イベントとかプレゼントとかしたりされたり、贈ったりすると嬉しいもんだよね。
なんでこういうことするの嫌がってたのかなあ。根拠の無い不信は病気ですよね。
ああ、やっぱりひとりぼっちは人間を蝕むじゃないか。
で。
いや僕は、私は・・・と言わず、1年良く頑張ったんだからとか適当な理由をつけて何かしらプレゼント!好感度がたぶん並とかそれなりに仕事だけじゃない仲間となら、そういうつながりも、ありじゃないっすかね。もっとお近づきに、下心ではなく人間愛的な意味で、親睦が深まると思います。
案外、仕事だけだと思ってる関係でも、ちょっとしたプレゼントとか嬉しいんじゃないかなあ。あ、これもやっぱり、人間的におかしな人だと思われていない、とか、好感度が低すぎないとかそういう前提のもとですけどね。もちろん。そういう雰囲気じゃない職場でも、人間やってみなければわからんもんです。
これだけが生きる醍醐味ではないけど
これも十分に生きる理由。価値にはなると思うんですよね。
働いて、寝て食って、働いて、プレゼントして、手紙を書いて、お金を稼いで、プレゼントして、会を開いて、また働いてー。みたいな。仕事場から自宅のルーチンにこれで彩が少しは加わるんじゃないかな。
え、俗っぽい?仙人みたいな人はなんでそうやって俗っぽいことを嫌うかなぁ。
この地上で、一応ちゃーんと肉体がついてるんですよ。せっかく現世にいるんだから、たいした引きこもり精神じゃなかったり、病気でもなければ俗俗(ゾクゾク)するようなことして過ごさないと、心が鈍っちゃいますよ。
プレゼントして、会を開いてお金をパーッと使って、また働いてーお金稼いでってこれ・・・
んー??男の人が女の人に飲み物を奢ってあげる夜のクラブか何か?(笑)
たとえそれでも十分に働く、生きる理由になるんじゃないかなぁ。
少なくともこの生き方を、否定できないと、僕は思うんだ。