優しいホモたち

この辺にぃ、急に虚しさを感じる人たち、来てるらしいっすよ!

人生の師

僕が4年間、大学オケにいたときのトレーナーの先生。

僕が全然バイオリンが弾けなくて落ち込んでいたとき、レッスンも全然まともにできなかったときに先生が教えてくれました。

君のことはまったく、何も、けなそうとか、できないやつだとか、私はそこで君自身を評価しようとか、そういうつもりはまったくない。
そうじゃなくて、やり方をどう変えようか?どうやって、弾けるようになっていこうか?私はそれを教えるためにここにいる。
だから、君自身を落ち込ませるために、やってるわけじゃない。出来ないのは君が悪いからとかそういうことではない。
それと、やり方をどうやって変えていこうか?っていうのはまた別のことだ。
だから、どんどん、失敗してもいいし、それで落ち込むことなんてない。君自身を否定してるのではなくて、やり方を私たちは考えてるだけなのだから、どうして落ち込む必要があるの?やり方を変えるだけなのに、どうしてショックを受ける必要があるの?

今でも思い出すと涙が出てくる。

初めて、なんの取り柄もない出来ない僕を、受け入れてくれた言葉。
教えることのそれ自体の意味を教えてくれた。
それから僕はやり方を変えることを知った。
どんなやり方を選んで向上させていくか?どんなやり方をすればより自分にとってバイオリンが上手になれるのか考えるようになった。

失敗してしまうこともあるけれど、それが僕自身の価値を判断することではないと、先生は分かって教えてくれている。

そうではなくて、このやり方はちょっとまずかったね?とやり方を変えていくことを提案したり、やり方自体が間違って覚えていたりして、それを指摘してやり直したり。

僕は大学時代、学ぶということを一から教わっていた。
学びの姿勢と言っていい。その初歩を幸運なことに教わることができました。

そして、こんなやり方で学んでいる人がそもそも少ないことにも気づいて、学び自体が損なわれている!と嘆き、希望を失うお話につながるわけですが、それはまた別のお話。

ふと思い出したのです、この言葉を。

僕は本当の意味で学ぶとはこのことだと思っている。
やり方を選択し、実行して、改善する。
教える側がそれを分かって教えてくれていると、学ぶ方は安心して学べる。失敗が怖くなくなる。
でもそれは失敗してもいいや、ではなくて。
自分が上手になろうとして選んだことだ!という自分の意思とそこへの責任。自分自身の言葉への責任が持てるから、堂々とやれる。どんなやり方を選んだのか、胸を張ってそれを披露できる。
その結果、失敗したのなら、今度はやり方を変えればいい。上手になりたいという気持ちが僕にはある。上手くなりたいという思いが本物であり、目的になるから、その道の途中で転んでも、すぐ立ち上がれる。

だから僕は後輩たちに教えた。

失敗が怖いのはそれを教えた人のせいだ。
そんなのくだらない。
上手になりたいんでしょ?その気持ちが本当なんだよな?

それを伝えた数年前のあの時。
うんうんと彼らは頷いてくれた。

だから、そのためのやり方を考えるんだ。
みんなでも、一人でも、考えるんだ。
先生ならうまいやり方をたくさん知ってる。
俺たちでももしかしたら、先生も思いもよらない考え方が出てくるかもわからないよね?

やり方を考えて、実行する。
自分でやり方を選んでやるだけだよ。
それと君らが弾けないのがどうこうとか、悪いとか、そんな評価なんて関係ないよ。やり方をどうやって変えていけばいいか?それを考えていけば、悪いところなんか別になおっていくんだからさ。

こうして種を蒔いていたというのに、僕はいつの間にか、僕が嫌だと思っていた大人になっていってる。いつの間にかこうして思っていた心すら忘れていくんじゃないか。

それが今は怖い。

僕が大切にしていたのは人なんだ。
単なる優しさじゃない。優しさだけじゃない。

この、学び方は、優しいと同時に、やり方をどんどん改めて、なおかつ、出来ないとか悪いとかそういう否定的なものを意識せずに、向上できる、強さを兼ね備えたもの。

だから僕はそれをみんなに伝えようと思っていたのに、何をしているんだ。僕は。すっかり、ふてくされて、諦めかけて、忘れかけてしまって…。

もう一度みんなに伝えたい。

この学び方は、守ってくれさえすれば最高の成功法則だ。間違いなく、身の回りが豊かになり、みんながそれぞれの進度で伸びていけて、自分の選択に自信を持って、誇りを持つようになる。

僕は一度、それを勘違いして、学び方を誤った。
自分の選択に自信を持つことと、独善的になることは全然違う。この学び方が良いに決まってるのにどうしてやらないんだ!と、人に押し付けるのは間違いだ。それはお互いを不幸にさせるだけだ。

だから、後輩ちゃんに、私はどうしたらいいですか?と問われたときに答えられなかった。

僕はすっかり、その基本を忘れ、独り善がりになってしまっていた。

だからこそ、もう一度伝えたい。

学びの意味を教えてくれたあの言葉をもう一度。
今度こそは、独り善がりにならずに伝えたい。

僕は押し付けすぎた。

それならやり方を変えればいい。
先生がいつもいつもそばについていなくても、その教えはここに生きてる。