優しいホモたち

この辺にぃ、急に虚しさを感じる人たち、来てるらしいっすよ!

不器用さを助けてくれていた友人たちに感謝

改めて自分の不器用さを自覚する。

いつも、実は器用な人に間を取り持ってもらい、コミュニケーションがうまくいっていたことを痛感します。

僕の言いたいことを、それとなく、変換してくれる人がいたので、僕は、他の人と難なくコミュニケーションをとることができていた。

例えば、後輩ちゃんがいれば、後輩ちゃんは僕の言いたいことを分かるので、彼女がスピーカーになって、僕の言いたいことを代弁したり、伝わりにくい場面で、相手に伝わるようにしてくれる。

いいかげん、自分でやろう。

なんだかんだ、ニートだ、頭が疲労してるだって、逃げられるけど、 拙いなりにも、伝えられるのだから、めげずに自分の言葉をたとえ、否定されても、相手に伝わるように改良できるのは自分しかいない。

いつまでも、後輩ちゃんや、他の僕の言葉を受け渡してくれる、橋渡しをしてくれる人がいるわけではないし、いつもいつも、そばにいてもらうことだって、物理的に難しい。第一、いくら、彼女や、他の親友たちが、僕の助けになってくれるからといって、そこまで頼ることを、きっと彼らは喜ばない。僕のためにも、これから過ごせるようになることを、彼女らはいつも、望んでくれている。

それでもやっぱり。
彼女らに、ものすごく頼っていたところがあったのだと、ひとりで外に出てみて改めて感じる。僕の言葉は僕一人だけだと、どうも伝わりにくい。思ったほど、効果が出てないように感じるし、何よりも、伝わった感じがしない。

それに僕は甘えたかったのが一番大きい。

そうやって、代弁してもらえて、嬉しかった。
伝わらない言葉をなんとか、伝わるように必死にやってくれていた。僕は人にそれをやらせていただけじゃないか。

伝わるように話してみよう。

不得意でも矢面に立つくらいの、度胸だって僕にはある。もう、きっとできるはずだ。
ひとりでも矢面に立って、言葉を交わして、意思疏通がその場でもうできるだろう。

それくらい、成長はしてる。

だが、実際にやってみると悩むものだ。
思ったほど、上手くはいかない。

それを今までは得意な人に守ってもらっていたのだ、いや、むしろ、不得意でも、守ってくれていたのかもしれない。

ありがとうと、ようやくこの傍若無人な男は素直に思うのでした。今さらそこに感謝するくらいなので、まだまだ、矢面に立つには時間がかかりそうだし、まだまだ、悩むことになりそうだ。

どうもありがとう。