優しいホモたち

この辺にぃ、急に虚しさを感じる人たち、来てるらしいっすよ!

後輩ちゃんに育ててもらってる話

彼女はいつも会うための都合をいちいちつけて
僕のことを合法的に呼び出してくる。

しかも、決まってそのタイミングは僕が、孤独を感じて苦しんでるとき。社会的な立場を利用して助けてくれる。

そのたび僕は社会から外れずに
輪に入れてもらえていると安心感を得ていました。

学園祭や文化祭を利用して僕を呼び出したり
部活の賛助として連絡をよこして関わる機会を作ったり、彼女のそういうところは素直に尊敬しています。

なかなか変に真面目な僕はどうせだから自分の仕事のついでに好きなあの人も呼んじゃえばいい!みたいな発想には至らなかったのです。

でも確かにその通り。
自分の務めや責務、仕事の合間に休憩の時間として好きな人と会う時間を作る、なんてロマンチックでプラトニックな技術。こういうところが女の子らしいし、頭の柔らかい人の発想だと感心します。

僕はいつも、たいていイベントなどに良い思い出がないと思っていたのはたぶん、こういう人と人との繋がりを確認するってことに重きを置いてなかったからなのだと今は思います。

文化祭にしかり、演奏会にしかり。
パッと終わってハイ解散。
思い出なんぞ何も残らないですよね。
いつの頃からか、それで人生を過ごすようになってしまっていた。

でも、後輩ちゃんと会ってからは考え方も変わり
自分が来てほしい人に来てくれと頼んだりして
関わりを積極的に作る機会なんだなぁと、考えてみれば当たり前なんですけどね。すっかりこの感覚を忘れてしまっていたのを、思い出させてくれたのは彼女なんですね。

文化祭なんぞくだらん、ばか騒ぎして何が面白いんだって、仲間に入らないで、羨ましくなんかない!って勝手にへそを曲げたくせに、遠目からチラチラ気にしちゃって、ホントは気が気でいられない。気になって仕方がない。

素直に、仲良くしたい人と、別に好きな人とだけでなくて、仲間や友達と、関わる時間になる。その一緒に過ごしているというその行動自体に意味がある。
何をしているか、するかというよりは、それを一緒に楽しむ。その時間が後で振り返ったときにの、人生のお楽しみ、思い出になっていく。

そんなことも忘れて、人と関わることを自分から遠ざけていたくせに、孤独で寂しくて、たまらなかったときに、手を差し伸べてくれたのが後輩ちゃんだったのです。

今振り返ればこそ、そう思うのですが…。
あの頃は、俺はもう関わりたくないんだよしてくれよ、でも、君が誘ってくれるなら行ってもいいかな、なんて小癪にも考えていたと思います。

本当は仲間に入れてもらえて、死ぬほど嬉しかったくせに、ずっとそうやって誰かに誘われてイベントを楽しむことを羨ましく思って夢にまで見てたのに、クールぶっちゃって。まあ、行ってやってもいいかな?みたいな態度をとってるこの傍若無人な男の相手を後輩ちゃんは笑ってよくしてくれて、また、よく許してくれたものです。今考えると本当に。

ですから、僕は彼女に育ててもらってたんです。

彼女が僕に笑いかけるたびに、今までの人生で冷たく凍ってしまった心が溶けるように、傷ついてかけてしまった破片がまた元に戻っていくように、僕が失ってきたものが集められていく。

なんとも不思議な話です。
今まであまり意識してなかったのですが
前回会ったときに初めて後輩ちゃんの弱気な姿を見て、僕は彼女にずいぶんいろんなものをもらっていたことにようやく気づいたのでした。

それと同時に、彼女が苦しんでいたことも、そこで初めて知りました。笑顔の裏にある、等身大以上に背伸びして、今にも張りつめた糸が切れてしまいそうなほどに、人に認められようと、居場所を作ろうと努力して、頑張っている彼女の姿を初めて目の当たりにした。

かつて僕に居場所を与えてくれたのも
その努力と経験の賜物だったのだと理解しました。

それから、もうずっと、気になって気になって仕方がない。なんだこれは、恋でもないし、恋愛感情があるわけじゃないのに、どうしてこんなに、気になるのか自分でもわからない。

彼女に久しぶりに会ってからというもの
しばらくこの調子です。