虚しさと貧乏思考
虚しさを心のどこかで求めている兄貴姉貴オッスオッス!
僕、思い返してみれば学生の頃からもう貧乏でいいや(なげやり)、やっぱりお金が使いたい!俗世を楽しみたい!っていう二極化された思考の間をすごい勢いで行ったり来たりしてました。
どっちかじゃないといけないのか?(反省)
そんなことしてるから、貧乏してるのは自己責任、この世のすべての不利益は当人の力不足と言って自己否定を始める。そんなことしてたら、すぐに虚しくなるのは当たり前だよなぁ?
別に貧乏でいいと決めつけることもないし、俗世を楽しみたいと思うならそれでいいんじゃない?と、考えてみれば当たり前のことなんですが、そう言われると救われませんか?
今は貧乏してるけどいつかは…みたいなのって、結局、貧乏vs裕福の思考が根底にあって、いつも見上げてることに自分では気づいてない。
いつか…じゃなくて、今できることをやればいいんじゃないの?
その今できることを自分で認められないのは、やっぱりその“いつか”に想いをのせすぎ、重いんですよ。
なーんて、やってても、分かっててもまーた見上げてるじゃないか(呆れ)
今できること、なんて宗教みたいな曖昧なこと言ってるからじゃないですかね?
だいたい、今はたいてい家のなかに引きこもっていられるのに、まだ僕は不満足なのか(強欲)
もう働くのは怖いです(トラウマ)
でもなぁ働かないと俗世を楽しめないしなぁ
うーん。でも怖いからなぁ、うーん。
ハァ~…あ ほ く さ。
今のお前にできることはうんうん唸ることかぁ?
そうだよ(自問自答)
だから今日も唸ってます。
相変わらず安定の真面目系クズの鑑。