半年間のフリータイム 2
この半年間の引きこもり生活でぶくぶくに太った思考を垂れ流します!(情緒不安定)
などと目を背けていても毎日を浪費している意識は消せない。
淫夢動画を見ることも、タバコやお酒に手を出してみたりすることも、一時的にその虚しさが先延ばしになるだけであって、その一時が終わってしまえばまた元の虚しさに逆戻り。状況と環境が変わってないんだから、当たり前だよなぁ?
たとえ環境を変化させたとしても、根源的な虚しさは付きまとう。生きてることに対する疑問がふつふつと湧いてきて、また、なんでこんなことをしているのだろうかと、ふと虚しさを覚える。
それでもそこから逃れるために、思考停止して、ロボットになろうとして、湧き上がる疑問をあえて遠ざけてみたりして。
こんなこと続けてたら、本当に楽しみにしてるから行動するのか、虚しさを遠ざけたいから行動するのか、両方なのか、これもうわかんねえな?
でも、そうして死ぬまで生きてみたら何が見えるのだろう?(大二病重傷患者)
僕がこのままとりあえず、この虚しさの答えもいつか出せると思いながら何十年と死ぬまで長い長い時間を生きてみて、おじいさんになった時、何が見えているのだろう。他の人たちは、社会はどんな姿になっているのだろう。やっぱり僕みたいな人が増えてるでしょうか(真剣)。
なんてことを考えて半年間過ごしていました。
この上さらに生きる価値とか言い始めたらまるでメンヘラですね(手遅れ)
わざとキチガイのふりしてストレス解消してる人たちもいるらしいですよ。
でも狂人の振りをしたら実際狂人だってそれ一番言われてるから。
ま。現実的な話、たぶん、働いても虚しい人は引き続き虚しく思うんじゃないですかね。
で、僕はダメみたいでしたが、引きこもることで逆に元気になる人もいるんじゃないですかね。
でも、おそらくたいていの人は、割合の話ですよ。ひきこもる選択をしてる時点であまり元気ではないですし、それがひきこもることによって治癒されるかというと、たぶん悪化する人の方が多いと思います。人間って本当に独りじゃ生きていけないんですね。
たとえ人とのかかわりが煩わしい、口うるさい、虚しいと感じているとしても・・・
駅のホームで、電車の座席で、大学の講義の席で、後ろや前や横から聞こえてくる人の声が、好き勝手しゃべってるあの声が、時に自分への誹謗中傷に聞こえる(自意識過剰)あの声が、実は人とのかかわりを感じる手段になっている。
すごくひねくれてますよね。自分ではそうやって誰かとの会話の輪に入れず、そうしたいという欲求だけが膨れ上がっていく、でも叶えることもできず、どうすればいいかもわからず(コミュ障)。
そうやって肥大化した外の世界への憧れが、いつまでも叶えることのできない自分への不満となり、その不満が八つ当たり的に外の世界への不信感や憎しみに変わっていく。
本当は仲良くしたい、人とのかかわりを誰よりも求めているから悩むんだと思います。根っからサイコパスな人はどうだか知りませんが、昔は良かったのにって漠然と感じているようなタイプの人たちはだいたいそうだと思うんですけど。
それをすでに誰かとつながりをたまたまにしろ、努力したにしろ、持っている人たちが、つながりのない、またはつながりの希薄なあなたを見て、優しい人だと言うのです(歪んだ視点)
優しいあなたから見れば、彼らは高いところから、安全なところからあざ笑っている、無関心に通り過ぎていくだけ。決して妄想なんかじゃないですよ。実際高いところにいるなら、手を引っ張り上げてあげたらいいじゃないですか。仲間にいれてあげたらいいじゃないですか。
でもあなたも彼らも分かってる。仲間に入れてあげても、入ったとしてもその先のつながりが描けないこと。一緒に何かを楽しむのに、足りないところがあること。
小さい頃だったら、まだ何も知らないから、仲間に入れて、何をしてるの?僕にも教えて。それで済んだことも、大人になって当然のように、それぞれの常識や礼儀作法を覚えているものという前提になっていて、いつの間にか、「僕にも教えて」って言えなくなっていった。それどころか、それを口にした途端に、自分がまるで異端者のように扱われることさえある。
(自分も相手も)悲しいなぁ。