優しいホモたち

この辺にぃ、急に虚しさを感じる人たち、来てるらしいっすよ!

「本気」に囲まれて

 

ふざけんなよ!とオケの頃、実はよく怒られてました。

同期たちに。

 

ずーっと心に引っかかってます。後輩ちゃんが何を望んでいたのかって。

しばらく辛くて、苦しくて心が折れかかって逃げようとしてて、そんな折に後輩ちゃんから「私はどうしたら」と問われたとき、僕の中にすごくもやもやが残ったんです。僕はそれに答えてやれなかった。自信を持って、こうだ!という答えを、僕は持っているはずなのに、それを自ら捨てようとしていたからです。

 

僕の同期たちは本気で良い演奏がしたい、良いものが作りたい!って思っていました。

でも当初の僕はそんなものくだらないって目で、諦めたような、冷めた目でそれを見ていたんです。こんな下手くそな自分で、ファーストのあいつだって大してうまく弾けもしないのに、どうやってこれがうまくとか、良いものとか言えるんだ?って。

ひねくれていたんです。それまでに自分や人を散々否定してきて、いまさら信じられなくて。

 

でも彼らは本気で言ってたんです。本気で自分たちが上手くなれる、もっと良い演奏ができる。気持ちよく演奏がしたい!って思ってたんです。その想いに、冷めてしまった僕の気持ちもだんだん、彼らにふれていくうちに変わっていきました。

彼らは本気だったんです。

 

だから僕の、そのひねくれている態度や、どうせ・・・という姿勢に、本気で怒ったんです。良い演奏がしたいから、みんなで上手になって、良いものを創りたいから。

ふざけんなよ!お前!って。怒って、叱ってくれたんです。本気だったから。

あの時の僕は、高校時代も独りで過ごしてきて、孤独だったことを忘れられず、お前らもどうせそんなことを言ってるけど、俺のことだって見捨てるだろ?みたいに傷ついた自分のことばかり考えていて、見当違いな、八つ当たりばかりして、今思い返せば本当に彼らには迷惑かけてしまっていた。

 

でも僕のその歪んだ観点とは逆。

彼らは僕も一緒に含めて、僕が同期だからこそ、みんな一緒に良いものを作ろう!

お前もそこに含まれてんだよ!

って、駄々をこねる子供な僕の手を引っ張ってくれたのです。

仲間はずれにすることなんて一切、考えてなんかいない。

彼らが僕を叱ったのはいいものが創りたいからです。僕が適当な態度で、適当な練習をして、彼らの想いを踏みにじるようなことをすれば、いいものは創れない。だから怒ってたんです。

 

そうか、お前らは、良い演奏がしたくて、良いものが創りたいからそのために頑張っているんだな。そのためだけに、みんなで協力して、ひとつのものを作り上げているのか。・・・それなら、俺だっていつまでも駄々をこねているわけにはいかない。君たちに協力したい。君たちのその想いが本物だということを確かめたい。見てみたい。だって、僕だっていつかまではそういうことを信じていたんだ。でも、途中で信じられなくなって、そんなことを言う人間こそ、信用ならないんだって勝手に決め付けて・・・。

 

すごくひねくれていました。独りでいる時間が長すぎた、のかもしれません。

言葉通り、彼らは本気で、折れなかった。何があろうと、「良い演奏のために」「いいものをつくるために」という想いを曲げることはなかった。本気でそれを信じていた。どんなときも。

 

それからというもの、僕も彼らにひねくれず手を貸しました。君らは「良い演奏」がしたいんだったよな?俺もひとつやれることをやるさ。協力しよう!って演奏の工夫をしたり、練習法を改めたり、後輩たちに残せることに手を尽くしたり。それもすべて、いいものをつくるため。みんなで良い演奏をするためです。

そのためなら俺は手を貸しても良い、でもお前たちのその言葉が嘘だったとき、俺はもう2度と誰の言葉も信じるかって。口先だけじゃないって証明してくれ、もう一回、人を信じさせてくれって、あの時の僕はきっと心のどこかで願っていた。

 

後輩ちゃんも同じように、だから怒っていた。

彼女も、いいものをつくりたい。良い演奏がしたいって思ってたんです。

 

そして、あの時の僕がそれに自信をもって答えてやれなかったのは・・・

両方の気持ちが分かるからです。どこか頑張るのを諦めてしまった人たちの気持ちも、いいものがつくりたいって願う人たちの気持ちも、僕は両方知っている。下から上へ引っ張り上げてもらったから、両方、僕は分かるんです。

 

僕は本気に囲まれて、その中でひとりいじけて孤独でいようとした。

後輩ちゃんは、後輩ちゃんだけが本気で、周りがどこか諦めているから独りになって。

彼女は僕とは逆のルートだったんです。

 

そしてどこか諦めている人を救い上げる方法を僕は知っています。

数多くの、本気の想いにふれること。諦めちゃってるその心を前向きにさせるには、もう一度、本気でやれば大丈夫なんだ。人を信じても良いんだと、一度でもそれを証明してやること。ひねくれてしまった人間を救うには、本気で、頬をぶつくらいの、痛みが必要です。本当の、愛が必要です。生半可な想いでは彼らは救えない。たった一人でも救えない。愛に囲まれて、本気の想いに囲まれて初めて、浮き上がってこれるんです。

 

でも後輩ちゃんは、ひとりでそこで本気で居続けるという決断をしました。

良いものをつくりたいという想いをたったひとり、持ち続ける決断を。

 

「私、もう耐えるしかないんですかね?また笑顔を作って」

 

自分の事を本当に恥ずかしく思いました。それに、俺はなんてことをやっていたんだと思いました。俺がやっていたこと、かつてやってきてしまったことは、こんなにも人を苦しませるようなことだったのだと、ようやく理解したのです。

そうやってひねくれて、本気の想いをふみにじるようなことをして、諦めるようなことをしてきて。こうやって大切な人が目の前で傷ついて、苦しんでいるのを目の当たりにして、初めて自分のしてきてしまったことの、その過ちの大きさに気付いたからこそ、僕の心に、ひっかかったのだと、今ようやく理解します。

 

因果応報。その法則通りです。運よく、僕は引っ張りあげてもらったけれど、僕のしてきたことは、こういうことでもあったんだ。人に、本気でいいものをつくりたいと思っている人から笑顔を奪うようなことをしてきてしまったんだ。

 

なんてことをしてきてしまったんだろう。

馬鹿なこの男は、目の前で大切な人が傷つく姿を目の当たりにして初めて気がつく。

もう一度、自分のやってきてしまった「因果」を胸に、本気で、いいものをつくるために、その想いをもって生きよう。それが人を大切にするってことだ、大切な人の笑顔を守るってことだと、僕は心に誓うのでした。