優しいホモたち

この辺にぃ、急に虚しさを感じる人たち、来てるらしいっすよ!

穴抜けの桶

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ここで紹介されてるこの「桶」。

僕は自分が発達障害かどうかは診断も受けてないし分からないけど・・・

 

matome.naver.jp

 

今まで生活してきて、今回の学校生活みたいに社会生活に馴染もうとすると、自分に明らかに欠けてるところがあることに、中学後半2年生くらいまでの思春期までの小さいころは違和感として認知し、今は実際の行動として自覚しています。

 

あの穴抜けの桶はその自覚イメージとぴったり合います。

出来ない部分が本当にゼロに近い。無いんですよね。だから周りの人と話したときとか、何かタスクを行うとき、それを補うために万全の策を用意していつも挑むんです。普段の学校生活でもそうでした。会話するのにも一苦労、相手の顔の認識、言いたいことの判断、主張していることが何なのかの認知。その辺りをいつまでたっても手動で、マニュアル操作をしないと認知できない、といえば良いんでしょうか。

だからどんなことをするときも、これが出来ないと怒られる、これがやれないと困るってことを目印にやってきたところはあります。その経験を元に、いちいちその状況を認知して、類似した状況にはこれ、この時はあの時に似てるからこれといった具合に物事にあたってきました。

 

気を遣ってそれが出来ている間は良好な人間関係が築けたり、物事もスムーズに行うことが出来ますが、自分が精神的に負担が大きいときだけでなく、日常のちょっとしたことで集中を欠くような心配事があるとき、それができなくなってしまいます。

 

で、今なんというか。上手くやろうとしすぎて息切れしちゃってるなと、思うのです。

というか疲れてしまった。全部いつかはひとりでやらないと生きていけないよなあと漠然と思っていたこともあって、今回、学校に行ってみて、ちっとも以前と変わらず、むしろ以前よりも認知が衰えてしまっていたことでもっと人間関係を作るのが下手になってしまっていた、物を習うことがすごく下手になっていたと感じて愕然と、ショックを受けてしまったのだと思います。

 

下手になった、というか、事実としてはしばらく後輩ちゃんや、同期の仲間といった“僕を知っている人たち”とのコミュニティにいたから、今まで対応してきた「外の世界」へのデータを一時的に遣っていなかったので、アウトプットが鈍くなっていただけだと思うんですけどね。

 

だから、その穴が抜けた部分って、抜けたままなんだと理解しました。

後輩ちゃんたちや、同期たちと仲良くなれたのも、当時僕はアウトプットにすごく気を遣ってたし、彼らもなんとなく僕の穴抜けの部分を持ち前の優しさで察してくれていたこともあって、彼らの協力があってこその関係です。それらの協力なしにして、僕はその相手の状況や状態、推察させられる心境、精神状態、それに類似した過去のデータはなかったかどうか、といったことを手動でいつも働かせることはできなかったでしょう。

 

そうやって協力してもらうことで、穴抜けの部分は補うことが出来る。

僕はそこを見誤って、自分だけで補わないといけない!と考えることで逆に自分を追い詰めていたんじゃないかと、この理屈から言えば、そう結論付けます。

もうひとつ勘違いしてはいけないのは、自分だけがやろうとするのも間違いだし、逆に相手だけに任せて、自分が相手を理解しようとする姿勢をもうとらなくていいということでもない。相手に理解させようとするのも間違いだ。

 

以前までなら、なるべく正確に対人ならそのときの状態をインプットして、次の会話をするときにそれを蓄積しておいて、似たような場面での会話リストを引っ張り出してきて、お話をするわけです。そういうことをやっていたから、オケの同期の人たちだって僕と話しをすることができ、そこを糸口にして、僕に協力をしてくれた。その生き生きやってる僕の姿を見て、後輩たちが僕を慕うようになった。後輩ちゃんが僕をきらきらした目で見るようになり、いつしか親友になっていた。

 

だからそこを勘違いしたのが間違いでした。

落ち着いた環境にいて、居心地の良い場所にいて、すっかりその自分の性質を忘れてしまっていたことも問題だし、もうこんなわずらわしいことしたくない。もう疲れちゃったよ、せっかくオケの人たちのときに一生懸命やって関係を作れたのに、新しい場所へ行くたびにその苦労をしなきゃいけないのかと思うと、すごくこの先が辛いだけのものに思えてしまって嫌だったのです。

 

だから僕みたいな人のことを、もっと分かってくれる人が増えたらいいのに。

もっと分かってくれてもいいのに、みたいに、苦しさ辛さからかそんな風に思うようになっていました。同じクラスの人を見ては、お前らはいちいちそうやって人間関係を、記憶から引き出して、あの時と似ているからこの時はどうやって話す、今の話し方はリストに無いから記憶しておいて後で参照できるようにしようとかって話したこともないんでしょ?それを新しい場所に行くたびにそうやってやってる苦しみなんか、わかりっこないでしょ。

みたいに。関係ない人たちの事まで僻んだり、恨んだりしちゃって。

 

自分が大変なことばかり嘆いて、相手にしてもらったことも忘れて。

 

だから僕は、この桶を直すことにします。

場所を変えるたび、板を貼りなおさなきゃいけない“ポンコツな”桶で、それが今、嫌で嫌で仕方ないと思って、関係ない人たちまで傷つけるようなことをしてしまった。自分のできなさを棚に上げて、相手にばかり望んで。

 

足りないところを直すのは大変です。

気合を入れすぎれば、一人で気負いすぎて空回りして俺一人でやるんだと息切れして、それでも助けなんかいらないと、他人のことを軽んじる。

大変だからと甘くしすぎれば、今度は相手にばかり面倒を見させようとして、それが叶わないと相手に文句さえ言い、感謝の言葉すらなく、他人を馬鹿にし、甘く見る。

 

でも今度こそ、直して生きたい。

きっとそれが正解だって思います。