優しいホモたち

この辺にぃ、急に虚しさを感じる人たち、来てるらしいっすよ!

うちはマダラとかいう仏陀みたいな男

『世を照らせ 無限月読』

NARUTOコミックス巻ノ七十 767話より



究極の超共依存おじさん。うちはマダラ。

愛が深すぎる。

他人を誰よりも愛そうとするがゆえに、優しすぎるがゆえに、他者の存在そのものが自分の存在意義になってしまったお爺ちゃん。常人には理解できない方法になってしまい、結局、誰よりも他人との繋がりを求めているのは自分なのに、誰のことも救えなかったお爺ちゃん。

その彼の回りくどく、ひねくれすぎている愛しかたを追ってみましょう。何でそんなことする必要なんかあるんですか、それは共依存の究極系がマダラおじさんだからです!
こんな人実際いないけど、これに近い人は現実にもわんさかいます。ちなみに他の作品で言えば仮面ライダータイガこと東絛くんとかね。病的な人ってああなるんですよ。だから、火つけたりするでしょ。切れたナイフになってみたりするでしょ。タイガだって、力をもって、英雄になれば人を救える→人を救える自分になりたい→英雄になるためには犠牲が時に必要だ。それを超理解して、犠牲を出せば出すほど強くなれると平気で人をあやめましたよね。

一言で言えば自分で自分自身を振り回して世界が回転しているように見えるのを、自分が回っているのではなく世界の方が回っているのだと、言ってるんですね(意味不明)


で、マダラおじさんはというと。

みんなを、一族を、弟を助けたい。
良いことですね。

本当の意味でみんなを、弟を助けたい。
うんうん。

目先の戦略じゃダメだ、もっと先まで未来まで、守れなきゃ本当の意味では守れない。またいつか弟たちみたいな犠牲が出てしまう、それじゃ本当の意味で守れたことにならない。
ん?

世界そのものの由来や原因まで探り始めて、世界がおかしいという結論を導きだし、根源からすべてを変えようとする。

結果守りたかったものが守れず、自分自身が未来にまで残って戦争をおっぱじめる。
えぇ…(困惑)

(言ってることとやってることが)あーあ、もうメチャクチャだよ。
でもな、かのブッダも同じことをしたんやで。
人々の心を救うために、無限月読、つまるところ無を説いたのはだぁれだ?おお!ブッダ!
マダラおじさんこの世の混迷と混沌を救う救世主になるって言ってたけど、実は言ってること自体は間違ってないし、いいかげん、自分の面倒も自分で見れないでそんなことで生きてるのが苦しくいのに、生き続けるくらいならいっそのこと、無の境地へ悟り開いちゃったらどうよ?って、提案してただけなんですよ。

…。

そうは見えなかったですか。そうですか。
柱間大好きお爺ちゃんですものね。
あんな柱間柱間叫んでてこの世に執着残りまくりなのに、そんなやつが無を説いたところで誰も信じないし、ついてこない。そうなんです。

マダラおじさんの悲しいところはそこ。
共依存が解決できなかった人の末路そのまんまなんですよ、これ。

でも、最後は子供みたいに暴れるだけ暴れて、出しきって、迷惑かけるだけかけて満足げに柱間に看取られて逝きましたね。

えぇ…(ドン引き)

あれだけ災害レベルで暴れまわられたら、敵わない。尾獣並み、いや、それ以上に扱いが難しいってわけですよ。

で、たまに愛の深い人が現実にもいるのです。彼らが愛を適切に表現できるためには、愛が深い分、その触れ幅も大きいのです。ということは、普通の人よりも憎しみも悪感情も人一倍強いということに他なりませんね。

その愛の深すぎる人をうちは病と言います(命名)

彼らが大人に、自立していくときにはそれはもう波瀾万丈では済まないくらい、それこそ災害レベルで、周りの人を巻き込むのが事実です。

自立するときには、多かれ少なかれ、苦しみを伴う。お互いの全貌を明らかにするときの痛み、受け入れられない苦しみ、相手を必要としてしまう依存、相手を助けることで自分に存在意義を見出だしてしまう共依存
そのどれもが、“精神的な”自立に必要な過程だと
されているのが自立論、らしいですよ。

ちなみにブッダっていうか釈迦は、ガキのくせに自立、自立って言うんじゃねーよ、できるわけねえだろそんなもん、人間は生きてる限り悩み続けるんだよオォン?って、正確には無と空は違うんだけど、要するに考えることから離れる方法を作ったんだゾ。

それは同時に人の自立を封印する方法でもあったんだゾ。でもそれでも、人々は生きる苦しみから解放され、悲しみも喜びもない世界へ、空の世界へと解脱することが出来るようになった、その事に大きな意味があり、絶望から逃れる術を編み出しことで人々の救いなったんだゾ。

それが一説では釈迦の真実と言われているがはっきり言って眉唾ものゾ。フィクションだと思って好きな話を信じるのが健全ゾ。