「ああそうだった」と笑って生きてみる
今回の課題。
光の無いところに光を。
光あれ、と。
はあ?(笑)
らしいです。どうやら。なんのこったいな。
例えばね、行く先々に、くらーい顔してる人たちがいる。
文句ばっか言ってるけど、そのくせ、楽になるように努力はしない。
また音楽の話になっちゃいますけど
楽譜どおり弾けないなあ。って問題があったとしたら、
これ楽譜のせいだ、楽器が悪いせいだって練習もしないで言う。みたいな。
いや練習しなよ(笑)みたいな話です。
笑えますよね。
で、こういう人たちを、何とかしなさい。
というよりも暗い顔してるその原因は、練習しなさすぎだし、当然の量すらこなしていなから当たり前なことであって、その上で、こういう人たちも世の中には存在するから、それについて君はどうするの?こういう人たちと組むことになったとき、いかにして成果や、チームワークや、効率を目指すことが出来る?
また君自身もそうではないのだと、自信を持って言うことができるのか?
って感じで。明らかに試されているのが最近の状況です。
知らんがな。やることやってないのに上手くいかないってそれ当たり前じゃないか。
それでも不満な顔をせずに、光あれと、笑顔でやれるかどうか。
そういう人たちと組むことになっても、上手いこと切り抜けられるかどうか。
むむむ。
とりあえず、周りは鏡という至言がありますから、
すぐ文句言わない。愚痴は言わない。人のせいにしない。徹底しようか。
そして自分が悲しい顔をしそうになってたら、
後輩ちゃんの笑顔を思い出そう!(笑)
なんか、思春期の乙女みたいなことしてんなこの男は。気持ち悪いですね(笑)
人は変えられないからね、仕方ないね。
これがまた、自分を変えていくってのと、自罰的・自責的になるのとは訳が違うんだよね。
それで失敗すると、うつになっちゃいます(経験済み)。
自分は責める必要、ないですね。
責めるではなくて、ああそうだった。と気付いて変えるだけ。
例えば、
おおう、またわしは文句言っていたぞ。ああそうだった。
と気付くだけ。
自罰的・自責的というのはここに評価をいれてしまうことでっせ。
おおう、またわしは文句を言っていたぞ。
またこんな風にして自分はダメだ。こんなんじゃいけないんだ。
笑顔でないと、いけないんだ。
っていうのが自罰的。自責的。
それだけのなんですが、これが、体験してみると、いやはや(笑)
人間ってつくづく経験してみないとわからない生き物です。