恋い慕い情熱
好き!というエネルギーはとても素晴らしい。
その好きな人に向かって進む直接のエネルギーだ。
その人が好き!というだけでどこまでも突き進めるほどのエネルギーだ。
恋をして、お付き合いをして・・・なんて世間一般のパターンがある。
恋をしよう、と思って恋をしたわけじゃない。
理屈じゃなくて、好きになるほうが先。考えるより手が出るほうが先。
後輩ちゃんには「先輩は本能的過ぎます」と揶揄されるのですが(笑)
いや、でもですよ。
恋をしよう。ってそれはそれでいいはずですけど、それって不自然かなって。
好きになるもんは好きになっちゃうんですよ。理屈じゃなくて。
これは、いわゆる「男性脳」的な考え方なんでしょうね。
語弊を恐れずに言うなら、おおっ!自分に適した雌がそこにいる!という(下品な表現ですいません)。
無論、人間も人間である前に生き物。だから生物的な意味で。ですよ。
それを人間は理性でも考えることをする。恋しよう。好きになろう。人を愛そう。
だから人間らしく計画する。デートしよう。食事しよう。プランを立てよう。
合コンをセッティングしよう。婚活をしよう。恋人をそろそろ見つけよう。ってね。
そして理性の部分は「文化」を作ります。
それは「社会性」をつくります。
それらの「文化」を共通した価値観として持っている「集団」になります。
これがいわゆる「空気」というやつの正体かなと今の僕は憶測を立てていますが果たして。
それはともかく。
デートや食事や、合コンや婚活など。
そういったものは、僕からすれば人間らしい建前だなあと。
そういうように見えるんですね。
いかにその社会性が優れているかというところを見て、
ああこの人はちゃんと文化的に生活できるんだな=その集団において価値観が合っている
ということを確認するわけですね。
実に人間らしいですよね。そこから阻害されてしまうような人を、わざわざ選んでしまうわけにはいきません。特に女性からすれば、その社会集団の中で生きるということは、自らの生存手段に他ならないのですから。
というわけでこれが理性的で、人間らしい合理的な判断の仕方だと僕は分析しています。
はて。なんでわざわざこんなしちめんどうくさい、分析してるんでしょうね(笑)
というのも。後輩ちゃんにも指摘されたとおり、僕は本能的すぎるので、そういう理性的で人間的な判断をないがしろにしてしまう傾向があります。というと、集団生活、まとまった価値観からどこか阻害されて、いや、むしろ自分から好き好んで離れていくことすらあるのです。
文化的、合理的判断が嫌い。とか価値がないとか思っているというわけではなく。
はたまた、そういった理性的なことがまったくの無意味だ!なんて主張があるわけでもありません。
ただ。本能的なんです。だからついつい、建前に見えちゃう。
それも踏まえて、そういった合理的で、人間的なやりとりが大切なことは重々承知しているつもりです。
男の人だって女の人だって心では分かってますもんねぇ。
好きな人、素敵な人とそういう情熱的な時間が過ごしたい。でしょう?(笑)
だからこそ、心の素直な部分も大切にもっておいてほしい。
なぜなら、理性的、合理的判断だけでは人間は成り立っていないから。
予定や計画や、合理性だけではないから。
しかし。
かといって、本能的、野生的嗅覚だけでも人間は成立しない。ですよね?
好きだと思って電車の中で凝視しちゃったりそれだけでも不快なものですが、手が出てしまったらそれはもう犯罪ですからね(笑)
その両方のバランスを持って、情熱的に恋をしましょ。
人間的に文化的バランスを保って、建前をうまく使えばあら不思議。
本能的に好きを嗅覚、直感で判断すればあら不思議。
人間って、まー、しちめんどうくさい生き物です。
その両方をうまく使うことで、ちゃーんとお付き合いが成立します。
どちらか一方だけだと明らかにころげます。最初はよくてもどこかでバランス崩します。
なーんて女の子とお付き合いしてると、やっぱり世の中バランスなんだよなあと思わせられます(笑)
やっぱり男っていうのは、女には勝てないですね。
女の人にはいつも、育てられっぱなしですね(笑)
24年しかまだ生きてませんが、そういうもんだなってこの若造は思ってますがはてさて。
人生の先輩方もはたしてどうお思いになられるのか・・・(笑)