優しいホモたち

この辺にぃ、急に虚しさを感じる人たち、来てるらしいっすよ!

淘汰される音に

 

ラの音。

 

バイオリンのA(アー)線の音。

 

素敵な音ってなに?

綺麗な音ってなんだ。

 

先生と一緒に特訓したのです。

ひたすらにA線をかき鳴らし、素敵な音を耳に入れ込む特訓を。

 

これは、素敵ではない音。

じゃあこれは?素敵だけどまだ素敵になれる音。

じゃ、こっちは?これは全然ダメ。

 

さて。

素敵な音。素敵な和音。素敵な演奏バランス。

共通するのは、はまると気持ちがいい。心地がいい、はまった音がする。

理屈で言えばハーモニーを追求しているわけだから、当然、はまれば気持ちいいに決まってる。

これは理屈なんか知らなくても、プロでもアマでも関係なく「分かる」感覚がする。

 

これが音の素敵なところ。

 

その理屈を持って、良い音というものを感覚で知っている先生について教われば、音は見違えるように綺麗になります。これも体験済み、体感済み、客観的に見ていてもそうです。

 

じゃ、その理屈って?

音を出すために、僕たちは必ず身体を使います。音に限らず、僕たちは何かをするとき、テレパシーや念力によって、もしかしたら場の雰囲気を偏らせることはできるかもしれませんが、今のところ、念じただけで、バイオリンの弓を動かして演奏したり、音を出したり、自分の声を相手の頭の中に直接届けるといったことは出来ていません。

 

身体の動きを最適化、スポーツ力学、物理の論点から、身体の動かし方で最善と思われる力の運びを身につけるだけで、これまた、作業がぐんと変わるんです。

楽器で言えば、音色がまさに様変わりする。本来の持っている音により近づいているような感覚です。

 

今、楽器のレッスンの最先端は、そういう方向にシフトしてきているようです。

 

重力や、間接部の重さのバランスなどから身体の操り方をマスターすると、身体をうまくコントロールすることが出来るようになる。すなわち、音のコントロール精度が上がるということで、実際その理屈どおり、音は劇的に良くなる。

 

そこまでやって練習してみないと、センスがあるかどうかなんて判別できないんじゃないかと僕は思うんです。

普通の人はそういう基礎の基礎の部分すらままならなくて悪戦苦闘する。

そこが体感で分かる人がセンスのある人だって、それはそうなんですけど、そういうのを「天才的」と呼ぶわけで、限られた人にしかできないことだ。極端すぎる。

そういう限られた人と比べて、センス無いって、当たり前だ。落ち込む必要すらない。

そんな極端なところと比べていちいち落ち込んでたら、世の中極端な天才なんて実はうようよいるんだ。上を見てもきりがないし、下を見てもきりがないんだ。

 

でも比べちゃうよね。だって勝ち負けで勝負の世界だからさー

淘汰されちゃうもんね。たいていの凡人は淘汰される運命にある。

それが今の世界の法則。

比べるなって言うのは実はおかしなことで。

比べ物にならないくらい、お前の見所と強いところを見つけないと一生比べ続けることに苛まれる、それがこの世界だ。

 

お前がいくら素敵な音だと言って、それがお前のものでしかない唯一の音だと、みんな分かっているけれど、その唯一の音が売れるかどうか、生き残るかどうかは別のこと。

だから、僕は資本主義というゲームがまかり通っている今のシステムについて夢で戦うことをおすすめしない。

それぞれが特別でそれでいいんだ、なんてなまっちょろい世界ではないから。

そういう仕組みにはなっていないから。

 

ということで、理屈上、最適最速の練習法はあるんだから

それを試してみてやってみて無理なら、無理ってことなんじゃあないかなあ。

そこまでやってみて初めて、ああこりゃセンスねえなと分かる、くらいでいいんじゃない。

 

となるとさ。これもう運だよね。

人間って100年そこらしか生きれないし、睡眠時間と自我に目覚めてない時間とか老人で活動時間が減るとか考慮すれば実際の活動時間なんて大した長さじゃないんだからさ。

 

ということはさ

頑張る頑張らないとかくだらないこと言ってないで。

生きること自体、長く苦しいように見えて、自分の力だけでやることやろうと思ったらえらく短いんだからさ。なんていうのかなぁ。

 

人生大した長さじゃないよ。実際自分の才能を引き出そうとして、意図的にその努力を続けたとして、見つかる確証はないわけだし。やってみないと分からないよね?

そのやってみる、っていうのだって、1分や2分やってみて、ほいって判断できるものじゃないよね。1年2年続けてみて分かることもあるよね。

だから浅はかなんだよ。才能を見つけようだとか、そういうことを自分でやろうとすること自体。

 

とりあえずやってみる。

あとは何とかなる!

 

苦しむと時間が長く感じるからさ、人生が長いとか苦しんでる人ほど言っちゃうんだけど。

才能なんか見つかればラッキーアイテムくらいのもんだよ。頼りにするもんじゃないな。

人生っていうゲームも難関、難所だってあるわけだけど、これもう無理でしょ・・・みたいなステージとかさ。でもしょうがないよね。リセットはできないし、セーブはできないし、いつも一発勝負だし。これもう無理でしょって、思うようなことがあるといいかげん、笑えてきちゃうでしょ。

 

おかしい。難しすぎる。

クリア不可能なんじゃないの?

 

コントローラーを投げたくなったら投げても良い。

だけど、投げる前に思い返して欲しい。

 

これはゲームだ。

ゲームに本気で怒るやつがいるか?

怒ることも楽しみの一つとしてやってんならそれでいいけど

俺はゲームは楽しいからやってるんじゃないか。

暇つぶしになるからやってるんじゃないか。

 

人生はゲームだ。ということは楽しむためにやっているのだ。

ということは、暇つぶしでやっているのだ。

 

それにしては難易度が楽しめるってレベルじゃないだろこれっていう場面も多いよね。人生って。

通常難易度なのに、やりこみゲーか縛りプレイみたいになってるんだけど!みたいな。

 

分かってんじゃん。

 

やりこみしちゃってるし、縛りをいれちゃってるんだよ。そういう時って。

一度疑ってみると良い。縛りプレイみたいに感じたらたぶん縛りプレイしてるよ。

 

変り種で言えば職業こだわりプレイとか。処女童貞エンディングとか(笑)

不殺プレイ、無宗教プレイ。低レベルクリア、ひたすら逃げてクリアとか、さ。

 

例えば、夢とか、あるよね。俺は絶対このプレイでバイオリン職人になるんだ!みたいな。

この時点で職業縛りプレイでしょ。縛りで楽しいなら良いけど、つまんないなら変な縛りしないほうがいい。

 

人生は楽しみでやってる。って意味が分かると少しは気楽になれるかもしれませんねぇ。