お金儲けはした方が良いに決まっている
決まってます(実感)。
と思います。
世の中、世界の法則としては、そうやって成長すればするほど楽になっていく。
というのが真実。らしい。ふーむ。
成長って何だよ?
仕事をしてないなら、仕事をする。
定職に就けないなら、アルバイトでもする。
アルバイトも出来ないなら家の手伝いでも庭仕事でもいいから何か仕事をする。
「人に何かを与える」
ことをしていくと、成長するのが人間という生き物のようです。
何かを与える、提供するというのは、仕事の役目でもあるので、多くの人は仕事=成長だと言っている。
と、すると、アルバイトでも、定職、正社員でもやってることの本質自体は同じ。
ってことは、きっかけはアルバイトでも正社員でもなんでも、じゃあ自分がどうしたら、お客さん=提供相手に上手く立ち回ることができるか。自分ができることは何だ?ってことを追求すればいいのかな?
例えばー・・・
「老人ホームやデイケアで、現場で働いているスタッフ」
ならスタッフとしての役目はどんどん会社を儲けさせること、じゃないですかね?
営利目的でボランティアでやってるわけじゃないんだから。利益追求。
む?って感じますかね。利益追求って響きがなんか嫌、みたいな。
ふつうに考えて、正当に儲ければいいんじゃないですかね。
お客さんの回転が速くなって、利用者が増えてーってどんどん考えていって、
正当にお金儲けが、金回りが良くなっていく方法を考えたらいいんじゃないですかね。その上で、労働者としての、雇われる側としての役目を果たすって、すごく健全じゃないかって思うんです。
たとえ「アルバイト」でも、飲食店なら。
そのお店が発展するように、金儲けが上手くいくようにって考えれば・・・
お客さんがまた来てくれて、再来店がたくさんあって、毎月新規のお客さんが一定数とれるように、とか無理難題を考えるわけですよね。それを諦めちゃったり、もうこのくらい儲かってるし、今は何もしなくていいかとかやってたら、絶対にお金儲けになるわけないじゃないか。
で、その発想があるなら、
どうせなら自分でお金儲けの仕組みを考えてやっちゃおうか、っていうのが自分で起業したり、ブログで飯を食っていくぞとか、覚悟した人たちですよね。
お金儲けのことをがんがん考えてないわけないですよね。
その「ガンガン」という趣向性が要するに成長、ってところと大きく関わってる気がしますよ。いかがでしょうか。
でも、その増やすとか、新たに需要を作るとか、そこらに限界がきてるような、きてないような時代で、今度はどこに価値をおいて、お金儲けしようか。というかお金儲けをとことん考えてるような人だからこそ、誰かにどんな価値を与えることができることを考えられるってことなんじゃないですかね。
すなわち、お金儲けをとことん追及した先に、お金にこだわらない世界、みたいなのがあるんじゃないかと、思うんです。あ、もちろん“正当な”お金儲けと、カッコづけですけどね。
となると、純粋に、また来たい、またやりたい、また頼みたい。
人が集まる。楽しめる。新しく来てくれる。
ってことは、どんな時代でもその「またきたい」という「また」の魅力をつくり続けられる人が最強なんじゃないですかね。飽きない。飽きさせない。究極の「商い」じゃないですか。まさに。
で、現在のお金儲けってのはその、「また」ってのを練習、訓練するのにとーってもいいんじゃないですかね。たとえ、一流の人には適わないとわかっていても、そんなこと関係なく、今の自分のレベルで戦っていけばいいんじゃないですかねぇ。
今、たった1人のお客さん取るのに精一杯なら次は2人とる、とか。そのたった1人の人がいてくれてよかったって、そのたった1人にきちんと感謝できる。それを他の人にもたった1人にしたような感謝と同じ感謝をしてると、もっとありがとうって思うじゃないですか。ああ、最初のあなたがいてくれたから潰れなくて済んだよ、よかったありがとうってほんとに感謝できるんじゃないのかね。
そういうことが分かってるならやれば?って話ですね。
ほい。じゃやってみましょう。いいかげん俺はバイオリン!とかあほみたいなことほざいてないで、働こう。バイオリンを作る暇も作って、働く時間もつくって、感謝の仕方と働き方を学ぼうじゃないか。
そして「また」という魅力の勉強をしましょ、そうしましょ。