優しいホモたち

この辺にぃ、急に虚しさを感じる人たち、来てるらしいっすよ!

おじいちゃん

 

後輩ちゃんが僕の事をどう見ているか。という話。

 

彼女の目は物事の本質を見抜くというか、感性が繊細でピュア。

で、僕と話してると楽しくておじいちゃんと話してるみたいだとかつて彼女は僕に言ったことがあります。

 

おじいちゃんって・・・。

ま、世間の何と言いますか、弱いものに対する、弱者やお年寄りや弱っている動物、ペットに対するような優しさを僕は向けられていたのかぁとそのときはだいぶショックを受けたんですが。ところがどっこい。

 

今日、砥石を揃えようと思って刃物屋さんへ買い物へ行ってきたところ、店主さんはこれまた面倒見のよさそうなおじいちゃん。僕が刃物は始めたばっかりですと伝えると、砥石のあれこれを教えてくれました。

ん・・・?この感覚どこかで・・・?

懐かしい感覚に気付きながら、僕は仕上げ用にも石が欲しいんだと言うと、そこでおじいちゃん。砥石は、うちにおいてあるのは人造砥石。あんまり細かい(人造砥石の番手のこと。600番とか2000番とか、その数字が高いほど石の目が細かいことを示す)石は売れないから置いてない、と仰る。でも良い研ぎが出来る人は最近は少ないし、いい刃物を使ってるならそれなりの石が必要になってくるけど、普通に買ってきたようなものならそれで十分、だそうだ。

はぁいと僕はどこか安心感を覚えながら聞く。もっと教えてくれないかなあ。きっと僕の目はキラキラしていたことでしょう。

それから砥石はコンクリートで平らが出せることや、冬場に一度凍らせてしまったりすると使い物にならないことや、あれやこれやと話をしてもらい、お店を出るとき、「私は60年、今は83歳だけど、ずっとお店をやってるから、何でも聞きにきな」と心強い一言を残してもらい、お店を後にします。

 

ん・・・?

おじいちゃんって、そういうこと?

 

ふんわりとした安心感から、ふと気がつきます。

バイオリンの弾き方のコツを教えたときにも、運営のあれやこれやのお金を教えたときにも、そういえば、俺はもう4年も5年も部活に携わってるから何でも聞きな、ってそういう態度だったのです。忘れていたけど、そういえば。

たかだか4年5年(留年もしていたし)、されど「大学生」という限られた期間の中では僕は経験上、十分におじいちゃんだったわけですね。人生においてはまーだまだ若造ですけど、これがまた今から40年、50年と大学のときよりも10倍増しのスケールで繰り広げられて、今度こそ本当におじいちゃんになるわけですが。

 

自分の性質もあいまって、何事も細かに分析せざるを得なかったわけだけど、それが結局役に立っていたのです。今回の部活問題の件は今までの大学生活では経験したことがなかったから、後輩ちゃんからしたら期待はずれで少し頼りないおじいちゃんだったかもしれないけれど。いやほんとに、人間ね、協力っていうか、平和を崩すのってすごく簡単なんだよね。強い心を持っている人でも、その中にいると、分からないもんだ。それでもかつての僕らのように、信念を胸に、諦めず、仲間と協力する道を選ぶこともできれば、仲間の事を悪く言い、お互いを監視しあって、蹴落としあう道もあるわけです。

今のおじいちゃんの結論は、だって部活だろ?俺たち楽しむためにやってんだぞ。同人で趣味で、仕事じゃあないんだぞ?楽しまなきゃな。ってことで今はどうでしょな。

本質的には仕事だろうと部活だろうと人間のやることですから、どうしてもお互いの立場や信念やら、都合やら事情やらが間にはさまってきて何かひとつのことをみんなでやっているってことは変わらないと思うんですけどね・・・。

でも部活でひいひい言ってみんなを悪く言うよりさ、せっかく部活なんだからひいひい言ってやるのだって、馬鹿みたいに指差したり、できねえでやんの!とか愛をもってからかったりして、みんなで出来ないことを前向きに経験していくのって、とっても良い時間ですよ。少なくとも僕はそれが良いことだったと認識していますし、その時間が、僕は好きでした。

 

人生で見たら、本当におじいちゃんになったときに、こうして良い体験・経験として残っていくんだな?なんて思っちゃったりしてます。生意気ですかね。