律し続ける
どうして最近、上手くいかないんだろう。
いや、活動自体は何の問題も無い。バイオリンの刃物道具や準備だって着々と進んでいるし、GWの予定も、図書館へ出かけたり、作業本をコピーしたり、木材屋や工房にだって出かける予定でてんこもりだ。上手くいかないどころか、普通に考えたら充実している、それ以上に豊かな日々に間違いはないのだ。
それなのに。着々と進んでいるというのに、もやもやする。
自分のしていることに違和感がある。
このままでお前は本当にいいのか?と頭の中でささやきがずっと聞こえるような感じがする。頭がおかしくなったのだろうか?
日々は充実してるのに、未来のヴィジョンが明確に描けないから心配しているのか?
それとも、今自分のやっていることが、本当に仕事になるのか不安なのか?
いいや。違和感の正体はそれじゃない。
僕はかつてよりも、一人で出来るようになったことも増えたし、自分で決められるようになったことも、考えられることも増えた。自分の決断に、これでも責任は持っているつもりだ。
でもそんなことは、以前の僕に比べたら、という程度で、人に誇らしげに語ることじゃない。その程度の事でまた、すべてを自分で決断できると思うのも間違いだ。でも、以前の僕に比べたら、本当に出来ることが増えて、それでちょっとできるようになったくらいで傲慢になってしまったみたい。
そのくらいのことで、鼻にかけているようじゃ、きっとこの先成長できない。
普通の仕事でも、職人ならなおのこと。だから違和感を覚えたのだろう。
それで将来の事に漠然と、うまくいかないんじゃないかという不安になっていたのかもしれない。そのとおり、自分で分かっているじゃないか。
そんなことじゃ職人はつとまらない。いくら日々を充実させても、うまくやれているという気持ちにはなれないのは当然だ。
そして何よりも、そのうまくやれていない苛立ちから人に当たってしまってる。
心の中ではこんなことしてたって何もならないぞ!と分かっているのに。
どうしても衝動が抑えられない。
こんなことは、今までに何度かあった。僕の心の弱さの問題だ。
自分で自分の問題が抱えきれなくなると、いつもそれは他人への攻撃性になって現れてしまう。
暴力をふるうとまではいかずとも、傷つけるようなことを言ったり、他人から距離を置いたり、ルールや決まりを平気で破ったり・・・。
まだ僕の心はあの時と同じまま。もう強くなれたと思ってたけど、それは間違いだった。心の混乱をどうすることもできてない。それに対処する力が、身についてないじゃないか。
じゃあどうしてだ?なんで今まで乗り越えられたつもりになってた?
確かに人生、アクシデントや、これまでに経験したことの無い混乱だって、この先、生きてれば一つや二つといわず、何度かあるだろう。そのたび、逃げてきたか?いや、逃げたこともあれば、乗り越えたこともある。
じゃあ、今もそうじゃないのか。単にバイオリンの技術を学ぶ以上の、逃げちゃいけないことが、あるんじゃないのか。
この苛立ちと不安にどうやって向き合って、生きていくか、じゃないのか?
これがストレスだからって、嫌だからって、逃げてしまうのはすごく簡単だ。
この学校生活のストレスは経験したことがある。バイト先でも、大学でもそうだった。バイト先では職場を辞めることによって、大学では人と会っても平気なようにかなり余裕を持たせた授業シフトを組むことによって対処してきた。
でもかつてのやり方は、やり過ごしただけじゃないか。そりゃそうだ。
だって、今みたいに正攻法で向き合ったら、苛立ちや不安が抑えきれず、人を傷つけるし、自分も相手も嫌な思いをするから・・・
でも、そうだ。ひとつだけ違うことがあった。
部活だ。大学オケのとき、同じことを僕は、同期の彼ら、彼女らに向かって心のうちを吐露したことがある。
人を傷つけるし、自分も相手も、何もとりえが無い、出来ない俺がやって、迷惑をかける。困ったことになる。嫌な思いをするから・・・と。
また同じことをしているのか、僕は。
あの時、彼女らになんて言われて向き直れたんだ?
「だったら、とりえを作ろうよ、迷惑かけないようにしようよ、嫌な思いをさせないようにしようよ。だってあなただって、そんなつもり、ないでしょう!」
そうだったはずだ。そんなつもりない。でも何度やってもダメだったから諦めようと、逃げて別の手段を使って、近道したほうが楽だって、ずっとその考えが、あの時君たちに叱られたにも関わらず、分かってなかったみたいだ、この男は。君たちと過ごす時間が終わって、また元に戻ってしまっていたみたい。
違和感の正体はそれだ。
自分の弱い心を制御できてない。
今度こそ、助けてくれる味方もそばにはいない。でも助けてくれたじゃないか。
それなのに僕は、それを無碍にするようなことをして・・・
違和感を感じないはずがないだろう。
上手くいかない気がするなんて、当たり前だ。
ピンと来ないのもそうだ。
あの時僕は絶望していて彼女たちの言葉にそんなことをしても無駄だ。人間はその程度じゃ変わりはしないし、環境も状況も一時的に良くなるだけで、それをし続けることができるのか?と意地悪を言った。
たとえ君たちが、それを出来たとしても、その次の世代、自分たち以外がそれをしていなかったら、自分たちの中の誰かがそれをできなかったら?そんな屁理屈ばかり言って、向き合うのが怖かったんだ。
でも彼女らの言うまま、日々をそうして自分が制御できるように、心の衝動をうまくコントロールしながら過ごして、とりえを作ったり、嫌な思いをさせないようにしたりして過ごしたら、本当に日々が明るくなった。嫌なことやうまくいかないことはあるけれど、でも上手くやれているんだという実感はそこにある、不思議な気持ちだった。
でも部活が終わって、彼女らがいなくなって、かつての僕の言葉通り、部活の雰囲気は一変した。
それで僕は試されていたのかもしれない。
それでも彼女らの言葉を信じることが出来るか?自分の弱さを律することができるか?って。結局、楽なほうへ、自分の衝動を律さなくても良い方向へどんどん流れてしまってた。どうせこんな現実があるんだ、自分が頑張る必要なんてないじゃないかという心があったんだ。まだ僕の心の中には。それが消えたわけじゃなかったんだ。
というか、いつもそれはいるし、消して押しつぶせるものでもない。
こいつはいつも存在して囁いてる。
それを律することがこの前までできていたのは、それを実行している仲間たちと過ごせていたから、その支えがあったからだ。
たとえその支えがなくても・・・
もう分かってるはずだ。どうしたら律することが出来るか、その甘さを囁く声をどうしたら、黙らせてやることが出来るのか。
今度は自分ひとりでも、もう出来るはずだ。
彼女らがいなくてもその甘い囁きに流されてしまうことなく。