優しいホモたち

この辺にぃ、急に虚しさを感じる人たち、来てるらしいっすよ!

見習いたい大人

師匠がいると安心する。

目指すべき自分の姿を見失いそうになる。
僕が目指した姿は…

原点は高校時代の僕の恩師です。
僕はいつも受験勉強やりますよー、プリント配って答え合わせーみたいな授業ばかりで本当にこんなやり方が勉強になるの?それなら受験って受験のためにやってるわけ?
なんて考えていたときのこと。

英語の先生です。

僕の授業ではプリント配ってはいやってー、なんてふざけたことはしません!

彼は授業に入るなりそう言いきりました。
その代わり、一冊の参考書を配り、これを徹底して使いますと説明を続ける。

チャンキングという英語文節の仕組みから区切って読む手法、意味を理解するやり方をまずは教えてくれます。

それをひたすらに使って、英文を“読む”ことに特化して読みといていくのだと言う。
そしてさきほど配った参考書はおおよそ基本の文章が並んでいるから、読んでいく内に、身に付いていない英文法が見つかるからそれをといていけばいい。

なるほど、明確だ。
自分が読めないものを読めるようにしていくことが勉強ですよ?と教えてくれた。その上で、受験っていうのは、ある程度出題の範囲が決まっている。
その範囲が大体読めれば、あとは単語の問題で、普通の生活においても、英語の専門書なんかも、読めるようにはなるのだと。

とにかく、闇雲にプリントを解くのとは違う。
自分のために、自分が学ぶために勉強してる、そうだこれこそ、学ぶってことじゃないか!

高校生の頃のこと。
学問ってのは日々を豊かにするためにあるんだ、そのために議論するんだと、人は話し合ってそれぞれの主張を通したり、妥協したり、改善案を出したりして、共存するんだ。

そういう風に考えていました。

将来の夢とか、就活とかその前にこのことはしっかりと理解しておかないと、何のための労働なのか?何のための活動なのか?きっといつか自分のしてることがわからなくなっちゃう。

僕たちは共存するために、お互いを理解しあうために、働いたり、勉強したり、してるんじゃないか。

だからしばらく、そこを重点として、人を理解するとはなにか?お互いが共存するとはなにか?

そして、話し合うことははどうすればできるのか?

ひたすらに夢なんか差し置いて考えていました。
一人一人におかれた状況や、場面、環境。それと一人一人、固有のユニークな特性。
そういったものを理解して共に生きていこうとするから、仕事だって意味を持つ。お互いを助け合うために生きられるじゃないか。

そのために、仕事ってあるんじゃないの?

だから、とんちんかんなことばかり、受かるためだけのシステムだけのことを考えた就活対策なんてもの、馬鹿らしかったのです。

すっかり人のことが抜けてる。

そんなことを大人が平気でやってる。

だから僕は逃げ出したのです。
こんなことのために、僕は勉強してきたわけじゃない!
なんで、なんで、それがわからないかな。
話し合いや共存のことを抜きにして、人は語れない。いろんな考え方や主義主張、やり方があって人それぞれ違うのに、そこに目を向けないで、どうして人に優しくあれる世界ができる?

その思いのピークが大学生4.5年目。
半年留年したときのことです。

目指すべき師匠ももうない。
教えてもらった心も、ここで過ごす間にずいぶん色褪せてしまった。嫌だ、このまま、共存や、助け合いといったことを忘れて、生きたくない。

その悩みがピークに達して外界から身を引いて、自分のからに込もって身を守ろうとしたのです。

なんで働くかなんて、みんなが違うからに決まってるでしょう。
それぞれ違う人間がどうやって生きていくのか?

どうやって生きたら共存できるのか?

それを考えたこともない人に、さあさ皆さん一緒に一生懸命に働きましょうなんていきなり言ったってそれはやり方が違う。

さて、我々はみな違いますよね?(前提条件の提示)

人間はみんな、それぞれユニーク(独立した)個の存在ですね(再確認)

それなら私たちはどうやって生きたらお互いが心地よく。気持ちよく生きれるでしょうか?(問題提起)

僕は大学オケ時代、これをやっていた。
好きな食べ物、嫌いな食べ物から始まり、改めてそんなこと言わなくても分かってるよ!ってことを徹底的に再認識させた。そして自分と他人はやっぱり違うのだということを、その違いが非難するべきものではなくて、自然な違いであるということを理解してもらった。
日々の些細な我々の違い、生活を通じて。

僕がかつて、読めない英語を自分が読めるようにするために勉強したように、
日々の些細なすれ違いから生じる問題をといていけるように、僕はこの方法を後輩たちに伝えた。

後々、必ずこの方法は役に立つ。
きっと、僕の恩師も、今だけのためではなく、未来も見据えながら、やり方を授けてくれていたはずだ。

自分のために勉強できるということ自体が、スキルになるから。

だから、いまだにふざけたことをしてる、働くことの意味すら理解してない大人を見ると僕はふざけんなよと思う。

それと同時に。
僕だってこの世界で生きていれば、知らぬ間にそうなっているかもしれない。

僕の心は、意志は共存したい。
その思いをまっすぐ貫き通す。