自立した恋愛って素敵だな、サム
共依存ってなんなんですかねぇ。
いつも僕は恋愛に限らず、人間関係こわれる、って結末になるんで僕ってそんなに異常な人間かなと思ったりしたんですが、別に異常だからなんだというのか。
むしろ異常のない、おかしなところがない人間なんているか!みんなユニークなんだからそれを比べたら反りが合わないのは当たり前だろ!いい加減にしろ!
ふう。
で、恋愛時期における共依存という観点から共依存をまさぐってみましょうか。
共依存もひとつの見方に過ぎないよ!
病気だって決めつけるのは早合点だよ!
という観点もありますが、果たして真偽はいかに。
また別の立場からすれば自己愛やその類いの共依存だって脳みその不良だから治せるわけがないんだよ!治療なんてするだけ無駄だ!といった極端な意見までありますね。
そんなこんなで探してる途中でこんな面白い記事を見つけました
nemotohiroyuki.jp
これ恋愛についてのお話ですが、おそらくそのまま理論としては家族や親しい人、普段の人間関係にも使えるものかと。
失望の果てに、その共依存を“越えた”先にまた別のものが見えてくる。
は?
それを相互依存と言う、らしい。
この理論によれば恋愛の過程とは下記のようである。
はじまりの時期、大好き!ロマンス期
↓
気持ち悪い、嫌い。失望期
↓
あなたが悪いのよ!パワーストラグル(ケンカ)=バトル期
↓
もうそれでもいいわ。悟り。諦観期
↓
じゃあさよなら。デッドゾーン
↓
それでも私はあなたと。相互依存期
…は?
共依存が起こるのは超自立側に自立してない側が超依存するから。
それで、超自立側がその有り余る自立精神で依存側を引っ張ってしまう。
ん?
そこで、超依存側が自立へむかうと、立場が対等になってようやく相手の嫌なところを素直にとらえることができる状態になるので、パワーストラグル(ケンカ)が起こる。
お前のこういうところが嫌だったんだよ!あたしだって前から嫌なやつだと思ってたわよ!って感じで。
ようやく相手の全貌が見えてきたため、失望が始まり、次いで諦めの境地を経て、そしてお別れへ。
そのお別れへと向かうデッドゾーンで、私はあなたと、俺は君とやっぱり一緒にいたい、つまり、酸いも甘いも、それどころか血反吐の味まであじわった二人がそれを決めることで、真に自立したままでお互いの関係をもつことができる。
逆を言えばその姿の全貌を知らぬままそんなことは決められないし、そこへ至ることはできない。
共依存とは、単なる精神病理ではなく、もしかしたら本当の愛への過程であるという一説。
ほんとぉ?
それじゃ僕はこの理論で行けば、社会や人生を見てお前なんか嫌いだと叫んでいるので、今はバトル期ですね。
これは社会や人生に対して恋してたってことなんですかね?
じゃ、これから自立していけば自分の人生と、そして社会ちゃんと相互依存状態になれるってことですね。やはり希望を捨てるのはまだ早いかもしれません。
はぇ~、すっごい変な性癖。
こいつやっぱりすげえ変態だぜ?(自覚)