優しいホモたち

この辺にぃ、急に虚しさを感じる人たち、来てるらしいっすよ!

なんだよ、お前誰かに褒められたことあんのかよ(賞賛)

それってすげえじゃん!

優しい世界。
ああ、僕もすっかり毒されていくのをしみじみ感じます。でも、どうすることもできず、かと言って何もせずにはいられず、だからその閉塞感を何とかしたくて書くんですよね。考えるんですよね。こうして。
今は完全にフリータイムを悠々自適に送っていますが、かつては、頑張ってみたものです。

あ、「昔はよかった論調」ではないですよ。単なるノスタルジーに浸りたい話ではありませんぞ。
そうではなく、病的なある男と、その彼が所属した組織でのお話。


確かに、一定の効果は上がりました。それはそれは目覚ましいほどに、褒めてあげるとみんなよく伸びるのです。可愛い後輩ちゃんたちでした。
嫌がっている原因は、おそらくは肯定感の希薄さだ、つまり褒めてやって、おまえな、それ大したことないと思ってるけどすごいことだぞって教えてあげると喜ぶのです。

しかし、それも間違っていたのだとある時気づかされます。
他ならぬ僕も実は自分の中に、褒められない自分、認められない自分を強く抱えていたのです。褒めて欲しいのは自分もそうだったからなのです。

そうしてその事に気づかされるまでは、後輩たちの育っていく姿を見ながら、自分のしたことが間違いではなかったと信じ、共に笑ったり怒ったり、楽しい時間を過ごしたのでした。
それはそれは平和な時を過ごしました。
この世で生きていて良かった、誰かと話すことが、普通に話せることがこんなに嬉しく、楽しみになるなんて彼自身思ってもいませんでした。

でも、違ったのです。
彼が去ったあと、しばらくして彼は楽しみにして訪れましたがそこではすっかり、何もかも変わってしまっていました。
彼が楽しいと思っていたその場所は、笑いや笑顔もなく、口々にお互いの悪口を言い合う場所へと、変わっていました。

自分の価値観が変わったのだろうか?
それとも元よりここはそういう場所だったのに、自分がそれを認識できていなかっただけなのか?
それなら自分の感じたあの喜びは?楽しみは?何だったのか。

そうではなかった。
彼もまた、病的に心に何かを抱えていた。それが褒め合うことで一時的にでも解消される空間ができた。それが真実だったのです。

自分も病的であるにも関わらず、自分よりも他者を救うことで、自分の救済にあてようとした、その末路は、誰も救えず、かつての喜びは悲しみや怒りに変わり、その溜められた感情は、人を恨み、妬み、嫉む気持ちへと変わっていったのでした。

だから連鎖する。
簡単には抜けられないのです。そして、病的な人たちが多いことも紛れもない事実です。自分自身もそうであるし、その病的さは何よりも他人にうつるのです。

その悲しみ、虚しさをどうにかしたいと思ってます。
この病的な環境、素直に人を褒められず、肯定感も育たず、また病的な状態に陥っている自分自身も、果たしてどうしたらいいのか。

こうして過ごしてみて、対策も試してみて、発見できたのは、結局連鎖するということだけです。
病の外側から、殻を破る必要がある。
この病的な空間に染まっていない助けが必要だと最終的に結論付けました。

素直に人を褒めることがどんなに価値あることか、今さら気づいたのです。
嫉妬は感情が吐き出されていない証拠、空間自体も自分自身も病的な思考の渦に呑み込まれている。
ならせめて、病的な空間から逃げればいい。

そんなフロンティアを散々探してみても、どこにもなかったんですが、まだまだ時間だけはあります。