優しいホモたち

この辺にぃ、急に虚しさを感じる人たち、来てるらしいっすよ!

ありがとうございますって言ってみろ?

 

心を込めてもう一回!!(強制)

 

はい。

 

ルールってみなさん何のためにあると思いますか(唐突)

大きな意味の、法律とかそういうものではなくて。

会社や学校などの内部の人たちが守るため、仕事のルールの話です。

 

実は人間、できるとかできないじゃあ、ないんです。

できないことを恐れて、お荷物になることを恐れ、批判されることを恐れ、仲間外れになることを恐れる。そしていつしか、当然のように、できるという前提を人に押しつけるようになり、それができない人を邪魔者にしたり、のけ者にしたり、迷惑だと思うようになる。

これであっという間に窮屈な空気感の出来上がり。お得意ですね、村八分

 

人間、独りでできることなんて、あんまりないんですよ。本当に。

だから感謝を忘れた人間に、未来は、ない。今はうまくいっているように見えても、その先の道は既に絶たれたも同然。

たとえそのルールに従っていることが正義だったとしても、どんなに村八分にされないように頑張っていても、できる・できないにこだわり、その恐れに囚われて行動しているなら、その場所はどんどん腐敗していくでしょうね。だってみんなで仕事を、何かを創造しているのに、そのことよりも自分が助かることばかり考えているんだもの。ルールに従うことが、感謝をすること、周りの人に迷惑をかけないことだと勘違いしてる。

 

成し遂げることばかりが人間ではない。時に失敗して、無様に地を這いつくばることだってあるし、人を傷つけるようなこともするし、ろくでもないところだってある。それでいいのに。あんまりいけないいけないって教えたりするもんだから、みんな怖がっちゃってるじゃあないですか。若い子も、それを教育する大人たちも。

 

失敗しないこと、できることだけが、人間の道じゃないです。

あのね、ルールじゃなくて、自分の頭で考えようって、分かる?考えろって言ってんの(意識高い系)

そうじゃなくて。本当に人を大切に思ってるなら、その人たちを大切に思ってる時、どうしたらその人たちが仕事をしやすいか、一番、助かるのか。たぶん、ルールも最初はそうやってできたんだと思います。自分たちがどうやって仕事をしたら上手く回って、それが目先だけでなく、間違いなく、自分も大切な仲間たちも救うことになるってメソッドを幾年も幾年も積み重ねて、作ってきたものがルール。でもそこに大切な、どうしたらその人たちをどうしたら助けられるか、どうしたらみんなのために結局はなっていくのか、という心が抜けたら、それは形骸化した「ルールだった何か」になってしまいます。

 

で。

別に他人のことなんてどうでもいい、って心底思ってるなら、そんなルールなんてこだわらず、形骸化した何かにぶら下がって死ぬまでをただ気楽に気ままに生きる、それでまったく問題ないと思います。そういう生き方もありです。自分の頭で考えることを放棄するのもまた、自由でしょうから。

 

でも、今の自分が少しでも生きにくさを感じ、窮屈だと思っているなら、たぶんそれは頭を使った方がいいと思います。隣の人に、本当は優しくしてあげたいんだと思います。

ぶら下がったまま生きることに疑問を感じていなければ、そんなふうに虚しさは出てこないはずです。

 

ただ、それでも自分を変えようとせず、変わろうとしないのなら、それもそれでいいと思います。立派な選択ですよ、それも。

 

とにかくルールを守るだけじゃ、ルールにならないんだよ!(まとめ)それだけは。

そのルールを作るに至った過程があるのだから、それも知らないとルールは形だけになってしまう。そこを生きる、然らば傀儡の道ですよ。