淫夢はキッズ向けコンテンツ
ホモビがキッズ向けなわけないだろ!
果たして本当にそうでしょうか?
昔のキッズはエロ本とか拾ってわくわくしてた時代があります。
したがって以下の論理が成立する。
・エロ本はキッズ向けに作られたものではない
・しかしキッズはエロ本を欲している
・ホモビはキッズ向けに作られたものではない
・しかしキッズはホモビを欲している
よってホモビ=エロ本。キッズはホモビを見て性的興奮を覚えているのでホモビはキッズ向けである。
「これだいすき」「ひできらい」などの文章表現の稚拙さ、また性的マイノリティを笑いものにしている様相も少年期~青年期への精神発達の移行時期に見られる視野の広がりから自分とは異なるものの認識と自我意識の芽生えの特性と一致している。
他者への嘲笑や罵倒などの問題行動は認知の発達からくる一時的なものであり、その時期経過によって精神的な成熟へと向かっていくことにつながる。
・・・何言ってるんですかね。この人。
要するに、淫夢と言うコンテンツが何故か精神成長のための闇を引き受けてるってことです。子供が大きくなるためには、なにも道徳的なことばかりが成長する要素ではない。むしろ積極的に争いや、嘲ることも実は必要な要素である場合がある。それだけははっきりと真実を伝えたかった。そういうことをしろ、積極的にしてもいいという意味ではないです。人間って生き物だし、そういうこともある。だから道徳的にまずいですよ!って子供のことを止めてばかりいても良い子ちゃんが製造されるだけですよって話です。転ばなきゃ転ぶ痛みは分からない。転ぶ前に転ばせないようにするということは、転ばない知恵を出すことを忘れる、その危険性もセットになっているのです。当たり前だよなぁ?
可愛い子には旅をさせよ。苦労は買ってでもしろ。という言葉の意味はそれらの学習して学ぶ、という過程が欠如してしまう危険性を教訓として残したものだと思います。
・・・。
あーあ、また何言ってるか分からないじゃないか。
要するに(2回目)
この淫夢コンテンツで言えば、ひでが虐待されているのを見て笑ったり、野獣先輩がまじめにインタビューしてるのに言葉狩りをしたり、表情をいちいち切り取ったりなど。
人を馬鹿にしたり、笑いものにしたり、いじめたり、差別したりという道徳的に倫理的に「タブー」とされていることを動画を見たり作ったりする「遊び」で覚えながら、していいことと、しないほうがいいこと、したら誰かが傷つくこと、それでもしようと思えばやれること、等の事柄をだんだんと自分の考えで判断ができるようになる。
まだながい。
あっそうだ。
本当に好きな人に、お前のことが好きだったんだよ!って言うために人は人を傷つけて大人になる。野獣先輩は自ら進んでそんな人々の闇と矛盾を背負い、自ら進んで永遠に人々から自分だけが笑いものにされるという役目を引き受けて、世界に平和と均衡をもたらそうとした英雄だったんだよ。
よし!(ご満悦)