なんで虚しいのに生きる必要なんかあるんですか(正論)
僕は時々無性に虚しくなるのが苦痛なだけで生きること自体は好きです!(矛盾)
でも人と会うときはやっぱり大変だゾ。自分が虚しい気分に急に襲われたときに誰か人と会っているとすっげぇ疲れるゾ。
合わせたり、笑顔を作ったり、世間話をしたりすることについて、みんな普通にやってることだよ、みんなそうだよ!(激怒)と思うかもしれないけど、ここまで唐突に虚しさを感じているのを抑えてるようには思えないし、実際そんなことないって友人たち(狭い世界)は言ってたんだよなぁ。
でもひでが虐められるのを見たり、野獣先輩のインタビューを見てるとなぜか笑えて来ちゃう。なんで?(レ)
博識の兄貴もそんなこと書いてたし、何か根源が絶対あるはずなんだけどなぁ、これもう分かんねえな(勉強不足)。
たぶん生きてるのが嫌というよりは、我が強すぎていつも自分を表現できていないと不満に感じる思考構造になってるとか、何かしらの欲求が満たされてないから虚しさを感じたり、自暴自棄になったりすると思うんですけど(マズロー並感)。
だからたぶん僕とかこういうタイプの人間は自分の好きなところだけ好きなタイミングで好きなように受け取ってもらえるような環境が一番、適しているとつくづく思います。置手紙型のコミュニケーションですね。こんなものは甘えだという考え方は常々意識していますが、甘えるなで死んでしまったら仕方ないです。そういうところ、他人は自分の発した言葉の責任まで考えてません。少なくとも、甘えという見方もできるし、また別の思考方法だとも捉えることもできる、ってたとえ幼稚で未熟だったとしても意見のひとつとして扱えるだけの思想の距離感は欲しいですよね。なかなか僕も知らないうちに言語道断してしまっていることももちろんありますが、少なくともそういうことは思って誰かの考え方や見方は聞くようにしています。
それって、大切なことだと思うんですけど。
だってそれができなかったらどうやって人の意見を聞くんですか。
自分の立場が分からないのにどうやって人の批評を判断するんですか(石原千秋並感)
そんなホモたちにこれ、もう古い本になっちゃったけどまだまだお勧めですよ。大学に行こうと思ってる子たちならなおさら。
そうでない人たちも思考の分別がしたい、価値観ってなんだよ?(哲学)とか感じてるならぜひ。
きっとなにかのやくにたつから・・・(届かぬ思い)
僕の高校時代の恩師が勧めてくれた本です。この本を読んだおかげで大学入試合格できました!